あらすじ
1966年夏、東京にある寂れたアパートが舞台
部屋の中ではスクリーンがあり、映画が上映されている。
上半身裸の中年の男が二人いて、一方がもう一方の脇の下を剃っている。
そり終わった後、中年の男は言う。
「みんな誰かの代理人じゃないだろうか
例えば洋服、着る服は自分で選びたいがデザインして裁縫してという手順を
ふむのはとても面倒で店で買ってきてしまう。洋服作っている人は私の代理人として
洋服を作っている。
例えば食べ物、スーパーでベーコンや卵を買って自分で調理してもよいが
面倒な時はレストランに入る。料理人に自分の代理人として調理をしてもらう」
「私は誰の代理人なんだろうか」
感想
社会に出ると、人の役に立つことでお金をもらう。
働くということは「はた」を「らく」にするということで
自らの得意なことを作り、他人の代わりにそれを実行し価値を作る。
それが組織の中に向けたものなのか、外に向けた価値提供なのか
という違いはあるが、おおむねサラリーマンはそのような形で動いている。
システムがわからない顧客の代理でシステムを作りお金をもらう、
年金や税のことがわからない社員の代理でそれらの処理を行う、
管理部門の人たちなど、そういう動き方だ。
※山奥で自給自足している人や昔の人はあてはまらないだろう。
確かに、誰かの役に立つことはうれしいことではあるが、
誰かの代理としての行動しかしていないのではないか、
自分の意志に基づいた行動とは何であるのか。
芸術家は自分の好きなことをする、
ビジネスマンは誰かが求めることをするという言葉を誰かが言っていた。
仕事で相手が求めることをするのも大事なことだが、
それに埋まりすぎると、自分の意志や声がわからなくなり
「自らの意志に基づいた行動」ができなくなるのではないか。
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ねえ君、寺山修司を読んだことはあるかい?
読むといい、戯曲『さらば、映画よ』。みんな誰かの代理人なんだそうだ。
※アニメ「PSYCHO-PASS」5話より