あらすじ
町の楽団でセロ(チェロ)担当のゴーシュは演奏会に向け頑張っていたが、
一番演奏が下手で楽長にいつも怒られていた。
悔しがるゴーシュだが、その後なぜか毎夜動物達がゴーシュを訪ねてくるようになり、
動物から演奏をリクエストされるようになり、毎夜動物向けに演奏する。
音楽会の日を迎え、演奏の後、なんとアンコールにゴーシュ一人が押し出される。
ゴーシュは動物たちの訪問を思い出しながら、印度の虎狩りという曲を演奏し、
ゴーシュは観客と楽団から大喝采でむかえられる。
ゴーシュは、最後に訪ねてきた動物の中で、なぜかかっこうに謝罪の言葉を言い、終わる。
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」
かっこうへの謝罪
宮沢賢治作品ではよくあるが、最後の一文の解釈に苦しみます。
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。
なぜかっこうにだけ言ったのか?
ゴーシュの家には猫、かっこう、狸、ネズミが訪ねてくる。
そのうち、猫とかっこうに対しては冷たい仕打ちをして追い返してしまう。
猫とかっこうに対して謝罪の言葉がある場合筋が通るが、
なぜか謝罪はかっこうに対してだけで猫にはない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ
Wikipediaに書かれているように、賢治やゴーシュが単に猫が嫌いだったのかもしれない。
また、最後の曲も「虎狩り」で、同じ猫である虎を狩る曲である。
なぜかっこうにだけ謝るのか
酔っぱらっていた?
その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。
その晩遅く帰ってきた、帰ってきてから水をがぶがぶ飲むという描写があり
演奏が終わった後楽団のみんなと打ち上げにでも行っていたのかなと。
記憶とんだ?
すごい経験をした後なので、一種のトランス状態になり
記憶が飛んでしまったのかなと。
推理としてはちと微妙ですが、ゴーシュはまともな状態ではない何かだったのかなと。
集団から除け者にされる
宮沢賢治作品によくあるテーマの一つで
集団から除け者にされてしまう話、
セロ弾きのゴーシュもその一つである。
よだかの星では、容姿が醜い主人公のよだかが他の鳥たちからひどい扱いを受ける。
銀河鉄道の夜でも、ジョバンニは父親のことが原因か、クラスメイトから浮いている。
猫の事務所ではかま猫がその体の色から他の猫達から除け者にされる。
セロ弾きのゴーシュのみ、周りから認められて終わり、
その他の話は気持ちよくは終わらない。
※銀河鉄道の夜が最後まで読み終わっていないので、違ってたらすみません。