あらすじ
村上春樹のデビュー作
この本の場合、ストーリーのあらすじを書いてもという感じがするので、省略
リンクははっておきます
感想
読み取ったことは、物語ることや小説を書くことと自己療養
以下の別作品記事で書いたが、物語ることと、自己療養は関わりをもって描かれている。
文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない
文章を書くこと、自分の中にあるものを文章を通して外に出すことと自己療養についての関連性の記述
文明とは伝達えである。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終わる。パチン・・・・・OFF。
知り合いの精神科医の言葉
「両親は何処にいる?」
「話したくないわ。」
「どうして?」
「立派な人間は自分の家のゴタゴタなんて他人に話したりしないわ。そうでしょ?」
「君は立派な人間?」
15秒間、彼女は考えた。
「そうなりたいとは思っているわ。かなり真剣にね。誰だってそうでしょ?」
僕はそれには答えないことにした。
「でも話した方がいい。」
僕とガールフレンドの会話。文明とは伝達である。
一方で、この枠組みに完全に入りきれない人物がいる。鼠だ。
ある日、鼠は僕にガールフレンドに会うように僕に頼むが、約束の時間に現れなかった。
後日、僕から鼠に問い合わせても、はっきりしたことは答えてくれない。
鼠だけは、物語ることに消極的だ。
文明とは伝達えである。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終わる。パチン・・・・・OFF。
ただ、鼠は最後に小説を書き始める。文章を書き続けることで、鼠の自己療養は進んでいくのか。
風の歌を聴けに続く1973年のピンボールと羊をめぐる冒険にも鼠は登場した記憶があるので、
今度読み直してみようと思う。
最後に、風の歌を聴けというタイトルについて
文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そして。こう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが欠けたらどんなに素敵だとうってね
上記は鼠が奈良に行った時に見た巨大の古墳に対する彼のコメント。
古墳にはネガティブな印象を持ったようだ。
巨大さってのは時々ね、物事の本質を全く別のものに変えちまう。
古墳=巨大な存在、彼が忌み嫌う金持ち
蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風=小さい存在=鼠や僕
歌というのはその物語や自己療養の試みである小説であろう。
風の歌を聴けとは、巨大な存在であるものではなく、身近で目立たないけれども、
素敵な存在である人たちの声に耳を済ませようという解釈もできる。