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どんぐりと山猫 感想

※どんぐりと山猫のあらすじは紹介はこちら

宮沢賢治作 どんぐりと山猫のあらすじ紹介です。

命令とプライドとメンツ(と葉書)

この話を読んで感じ取れるのが、山猫の命令気質とプライドとメンツ重視の姿勢です。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。

上記、冒頭の文章ですが、いきなり命令から始まります。

その後、一郎が山猫を探しまわり苦労しながら山猫に会いにいきます。

山ねこは、ふところから、巻煙草まきたばこはこを出して、じぶんが一本くわえ、
「いかがですか。」と一郎に出しました。一郎はびっくりして、
「いいえ。」と言いましたら、山ねこはおおようにわらって、
「ふふん、まだお若いから、」と言いながら、

ここ、ちょっと上から目線です。

山猫の年齢は明かされていませんが、人間でいえば50~60歳ですかね。。

「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
山猫やまねこはなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子しゅすのきもののえりを開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」

ここは、そのまま偉そうだと書かれています。

「いいえ、お礼はどうかとってください。わたしのじんかくにかかわりますから。そしてこれからは、葉書にかねた一郎どのと書いて、こちらを裁判所としますが、ようございますか。」
一郎が「ええ、かまいません。」と申しますと

お礼をしないと人格にかかわるというのが、メンツを重視しているのがわかります。

「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日みょうにち出頭すべしと書いてどうでしょう。」

何から何まで指定しようとします。

そういえば、どんぐりの裁判もメンツた体面に関わる裁判です。

葉書が象徴するもの

この話で葉書は単なる伝言のためのツールではありません。

精神的なマウンティングのための道具になっています。

「え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知ってますか。」と言いました。するとその奇体きたいな男はいよいよにやにやしてしまいました。
「そんだら、はがき見だべ。」
「見ました。それで来たんです。」
「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ。」と男は下をむいてかなしそうに言いました。一郎はきのどくになって、
「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようでしたよ。」
と言いますと、男はよろこんで、息をはあはあして、耳のあたりまでまっ赤になり、きもののえりをひろげて、風をからだに入れながら、
「あの字もなかなかうまいか。」とききました。

冒頭の一郎宛ての葉書は山猫の家来である別当の男が書いたとわかります。

別当の男は葉書に対するこだわりが強いことが読み取れますし、上で挙げたように

山猫も葉書の内容にはこだわります。

葉書(文書)というのが、一方的な命令ができる道具として

山猫やその家来の別当には好まれているのではないでしょうか。

なぜ、一郎に二度と葉書が届かなかったのか

裁判で大活躍の一郎に対して、山猫はぜひまた裁判に来てほしいと依頼します。

「どうもありがとうございました。これほどのひどい裁判を、まるで一分半でかたづけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の、名誉めいよ判事になってください。これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。そのたびにお礼はいたします。」

しかし、実際には一郎は二度と葉書を受け取ることはありません。

山猫のプライドを傷つけたからではないかと思っています。

山猫は葉書を一方的に出し、また好き勝手に命令したかったと思いますが

葉書の出し方を否定したことでよく思われなかったのではないかと。

一郎が唯一犯した失態です。

①別当への対応→気遣いができていてOK

②裁判の納め方→OK

③褒美→OK

※猫が魚が好きなので、気を遣って塩鮭の頭は選ばなかったと思われる。

④葉書の文言→×

意識しているのかいないのか、相手の期する回答ではないです。

現実世界にも通じる話ですね。