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猫の事務所 感想②

※猫の事務所のあらすじはこちらから

集団から除け者にされる人達について

宮沢賢治の作品を読むと、一つのテーマとして集団から除け者にされてしまう

人たちの苦しみを読み取れます。

セロ弾きのゴーシュでは、楽団の中で一番楽器が下手という理由で主人公のゴーシュが

楽長をはじめとしたメンバーからいじめられています。

よだかの星では、容姿が醜い主人公のよだかが他の鳥たちからひどい扱いを受けます。

銀河鉄道の夜でも、ジョバンニは父親のことが原因か、クラスメイトから浮いています。

そして、猫の事務所

かま猫もその体の色から他の猫達から除け者にされています。

共通するのは、特に悪いことをしていないのに、除け者にされていることです。

また、セロ弾きのゴーシュでは別ですが、その他の話では味方も少ないながら存在

するという構成になっています。

感じとれる割り切れなさ

宮沢賢治のこの種の話を読むと、他の作品に比べて割り切れない感じがします。

①終わり方

セロ弾きのゴーシュのみ、周りから認められて終わりますが

その他の話は気持ちよくは終わりません。

※銀河鉄道の夜が最後まで読み終わっていないので、違ってたらすみません。

②罰を受けない悪者

オツベルと象ではオツベルは象につぶされ、注文の多い料理店では紳士の

顔がもとに戻らなくなりますが、上にあげた作品では悪者が罰を受ける

ということはありません。

③除け者にされる理由

上にも書きましたが、除け者にされる理由が本人にどうしようもないこと

なのが割り切れないです。

いじめられた人が救われるわけでもない、いじめた側が罰を受けるわけでもない、

これが現実だと思いますが、読後がちょっと消化不良ではあります。

結局どうすればいいのか?

自分が同じ目になった時にどうすればいいのか?

自分が人を傷つけないためにはどうすればいいのか?

その答えは、言語化や表現だと思っている。

つらいことがあった時、つらいことを自分の言葉にしてみること

それを頭の中でつぶやくこと、自分はこういう理由でつらいのだと言葉にして

自分で認識すること、それを口に出してみること、人に話すこと、小説にしてみること

歌でもなんでもよいので、何かの手段で表現をすること

これは小説の大事な要素であり、人間の精神作用にとっても非常に大事なことだ思っている。

【参考URL】

言語化は、 無意識レベルにある有用な情報を うまく引きだし、意識化することで 「気づく」という状態を 作り出していることに他なりません。

猫の事務所では上記のような言語化をかま猫ができている感じはしません。

セロ弾きのゴーシュでは、ゴーシュは表現する立場からか、ここは一番できている気がします。

うるさいと思ったら「うるさい」と言いますし、最後にステージの上で無茶ぶりで

独奏を強いられますが、その時の怒りをセロにのせて演奏します。

ゴーシュは音楽家でしたが、かま猫は役所勤めです。

あった事実を事実として訪問者に述べるという仕事をしています。

ちょっと無理矢理ですが、この違いが結末に出たと解釈しています。

締め方が雑になりましたが、経験したこと(特に辛いこと)を

言葉にすること、物語にしてみたり、何かしらで表現することは

わりかし大事なのではと思っています。