なぜしわくちゃになった顔が元に戻らなかったのか
注文の多い料理店のあらすじはこちら。
注文の多い料理店の最後、猫に食べられそうになった紳士二人が
なんとか助かった後、以下の文章で物語が終わります。
そして猟師のもってきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
これ、どう解釈するのか。
東京に帰りました。で終わってもいいと思いますが、
どういう読み方が正解かっていうのは特にないというのが前提ですが、、、
動物軽視と拝金主義に対する皮肉
あまり一般的な見解からずれないのですが、
動物軽視と拝金主義に対する皮肉を最後に入れ込んで
しめくくったのだと思っています。
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」
「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」
それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。
それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠って、それから泡を吐いて死んでしまいました。
「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。
「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。
こちら、冒頭の文章ですが動物より人間の方が優位に立っているととれる発言および
お金に対する執着が見て取れます。
この後、猫達食べられそうになり、動物軽視と拝金主義が物語として否定されて、
話の終わりを迎えます。
そして、最後に
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
と終わります。
紙屑というのがお金を連想させます。
また、顔を元に戻せなかったというのは、要はお金でどうにもできなかった、
かつ人間の持つ知恵や技術でどうにもできなかったということです。
猫達に食べられそうになり、結局助かったにも関わらず、
最終的にお金とか人間の力が再び暗に否定されて終わるという終わり方だと読み取れます。
食べられて終わるよりも、より皮肉な感じが引き立ちます。